【駐在員コラム】Vol.4 タイのライドシェア事情―Grabの影響力についてー

今日もバンコクは渋滞が激しい。数年前に比べて益々激しくなっていると実感する。実際、道が空いていれば15分の距離に2時間かかったこともある。タイに駐在して早々にGoogle Mapsによる到着予測時間があてにならないことを痛感し、予測時間の2倍程度で到着すればいいと腹を括ることにした。
混んでいるのは何も道路だけではなく、最近は電車の通勤ラッシュもバカにならないレベル感だ。駅によってはラッシュアワーに改札の外に行列ができている。入場規制を行っているせいだ。仮にホームに入れても油断はできず、ぎゅうぎゅう詰めになるまで無理して乗らないせいもあって、ピーク時には2~3回ほど電車を見送らないと乗れないこともしばしばある。
勢い、車でも電車でも、商談でクライアント先に行くときは必要以上に早くオフィスを出ることになる。そうかと思えば、全く渋滞に遭遇しないということも稀にはある。正月時期やソンクラーン(水かけ祭り)の時に中心部でほとんど渋滞がないのは、帰省後のもぬけの殻となった東京の正月に似ている。

先日、Grabを使って片道およそ50kmもの距離を、通常ならひどい渋滞に巻き込まれるはずの夕方時に移動することになった。遅々として進まない渋滞を想像し、憂鬱な気持ちで車に乗り込んだ後、スマホでメールをチェックしていた。すると突如ドライバーが歓声を上げた。「全然渋滞しなかったね!」と。そういえば随分中心部まで戻っているではないか。信号待ちの後、交差点を左折すると、「ほら見て!ここも渋滞していないよ!」。もう、ドライバーは大興奮だ。それをいちいち振り返って聞かされるこちらは、頼むから冷静に運転してと、ドライバーとは裏腹な気持ちになってしまい、愛想のない返事しかできなかった。ドライバーが落ち着くためにも、渋滞して欲しい、と思ったのはこの時が初めてだ。しばらく進んでから、交差点を右折すると、ここの通りでもまさかの3度目の無渋滞。ドライバーが狂喜しているのを見ながら、彼が嬉しいと思うのは心の底から共感できる一方で、これですべての運をドライバーが使い果たしてしまったのではないかと余計な心配をしたほどだ。実際、これは正月等の時期を除けば、本当に奇跡といえる出来事であった。

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このGrabはタイで最も使われているライドシェアアプリである。目的地を入力し、予約ボタンを押せば行き先の説明も不要なので、タイ語で細かい説明ができなくても不自由なく目的地にたどり着けるので外国人の私にとって重宝する。と当初は思っていたが、意外にそうではなく、ドライバーからアプリを通じて電話がかかってきて、「今どこにいるんだ」とか「どこに行くんだ」と聞かれることは少なくなかった。実は、このアプリは自動翻訳機能があり、ドライバーがタイ語でチャットしてきても、受け手の私が設定している言語に合わせて翻訳してくれる。タイ語から日本語の精度がまだそこまで高くないので、英語に設定しているが、困ることは殆どないといって良い。今でこそタイ語が話せるようになってきたので、電話はむしろウェルカムだが、当時は恐怖でしかなかった。また、「渋滞がひどくて30分くらいかかるけど待てる?」のような交渉も発生する。急いでいることが殆どなので、「キャンセルしますね」と言って、もう一度予約のやり直しをする。あまりにキャンセルを重ねると、それだけで数十バーツが課金されるので、それも踏まえて配車依頼をするタイミングと代替移動手段を頭に入れながら使うノウハウが自然と培われてゆく。

普通に考えると、アプリで車を呼べば最も近くにいるドライバーが来てくれそうなものだが、実際はそうではない。予約が通知されると、付近のドライバーのうち、予約者を乗せてもよいと思ったドライバーから手が上がる仕組みだ。実はGrabユーザーはドライバーに選ばれる立場だ。従って、アプリ上では周辺に配車待ちをしている車のアイコンが表示されていても、誰も迎えに来てくれないことは起こりえる。事実、郊外の工業団地の中でGrabのドライバー達に完全に無視されて立往生したことすらある。その時は帰宅ラッシュの時間が迫っていたので、工業団地に一度入ってしまうと、出口となる道が限られているため、工業団地エリアから外に出るのにとても時間がかかるのと、私の目的地であるバンコク市内へ向かった後、ドライバーが元いた場所に戻るために郊外に抜けるのにも渋滞が激しいことが十分予想されるので、ドライバーからすれば私を乗せるのは時間効率上最悪の選択という訳で無視されたのだ。

ところで、乗客が下車したらドライバーはその乗客を採点する仕組みになっている。私が見たときは2段階評価であった。乗客は「Good」か「Bad」で採点される。また、乗客は利用料金に応じてたまるポイントと、ドライバーからの評価によって4段階でランク付けされる。先日、私は最高位のプラチナ会員の称号を獲得した。優先配車(と言っても飛行機の優先搭乗と違って確認する方法は無いが)、さらに、ポイントが通常の2倍で貯まるなど、飛行機のマイレージ上級資格のような優遇はもちろん、デリバリー含むレストランの割引、ネットショッピング時のディスカウント、映画の無料券、旅行代金のディスカウントなどの各種リワードが下位の会員の時よりも少ないポイント数で行使できるので、貯まったポイントの使い道が格段に増える。ユニセフなどに寄付することもできる。

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先日驚いたのは、新作映画上映会へのプラチナ会員限定招待が来たことだ。このようにして、一度Grabのプラチナ会員になると、移動手段としての利用のみならず、車に乗らない時でもGrabを通じた様々な体験をする時間が増えてゆく。因みに各種リワードはいわゆる広告枠と同じなので、いつも同じリワードがあるとは限らない。故に自然とアプリを開く頻度が高まって、お得なリワードをチェックするようになることで、Grabとの接点が乗車以外でも巧みに発生させられている。加えて、フードデリバリーや単なる品物の運送などのサービスも同じアプリで利用可能なので、プラチナ会員でなくとも、前述のように渋滞に悩まされている人々にとって利用価値の高いサービスが提供されている。Grabは自分で車を保有しないでも快適に暮らせる仕組みを打ち出しているとも言える。

再び移動手段としてのGrabに話を戻そう。GrabにはTaxiとCarがあり、私が基本的に使っているのはGrab Carで、これは一般人が運転する車のライドシェアだ。理由はTaxiが一般タクシーとの兼業形態であるのとは異なり、ドライバーが個人で保有する車の為、いつも違う車に乗ることができる可能性が高いためである(Taxiはほぼ同じ車種しか走っていない)。そのため、幸運であれば一度は乗ってみたいと思っていた車に乗ることもできる。例えば、今タイで非常な勢いで販売台数を伸ばしているMG、インドネシアで先行販売されたところ爆発的な人気となり、タイに輸出する余力がなくなったため納車が遅れるという異例の事態が起こった三菱のエキスパンダー、2018年のバンコクモーターショーで華々しいデビューを飾ったトヨタのCH-R。他にもタイで最もシェアの高い車格のピックアップトラックは、いすゞのD-Maxをはじめ、フォードのレンジャー、マツダのBT-50まで乗ることができる。陸続きのマレーシアから国境を跨いで来たと思われるマレーシアの国産車プロトンまでが迎えに来てくれるのだから、Grabを予約する時はいつもワクワクさせられる。流石に高級車はそこまで多くは無いものの、トヨタのカムリやフォーチュナー、ホンダのアコードあたりにも遭遇できる。

ほとんどのドライバーは男性だが、女性も普通のタクシーに比べれば断然多いのに驚かされる。一般車であるので、内装は当然普通だ。日本のタクシーのようなプロテクターはない。料金はGrabアプリに登録しているクレジットカードで決済するのが当たり前のため、ドライバーが殆ど現金を保有する必要がなく、金目当ての強盗のようなリスクも少ないからこれが成立している。また、前述のように乗客も利用の度に評価されており、乗客ランキング制度が目安となってドライバー側が乗客を選べることの意味も大きい。なお、ドライバーも5段階で乗客から評価されている。このような相互評価システムによって、ドライバー側も乗客側もより安心して利用ができるという訳だ。加えて、タイの一般タクシーの評判は今一つであり、ぼったくり、乗車拒否が少なくないため、消費者にとってはあまり快適な移動手段とはいまだに言い難い。このことも普及に拍車がかかっている理由の一つといえる。

Grabアプリは、今は乗客側であっても、空き時間を有効活用できる副業としてドライバー側になるための方法が用意されている。乗客はドライバーとして副収入を得ている自分を後部座席から想像しているかもしれない。サービスの担い手と受け手が限りなくシームレスとなっているのも特徴の一つである。これは、Grabがあくまでも人の移動をライドシェアという概念で実現するために必要不可欠な要素と言える。個人で車を保有しないでも快適な生活の仕組みを提供しつつ、サービスの担い手を拡充するという、相反することを同時に実現しているのである。

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また、車の購入を検討している人にとっては、Grab Carはリアルな試乗体験と言えよう。偶然にも自分が購入を検討している車が配車されたとしたら、乗り心地を体験できるだけでなく、使い勝手に関するユーザーであるドライバーの声をリアルに聞くことのできる絶好の機会となる。Grab Carのドライバーは自動車メーカーにとっては極めて重要なタッチポイントとして位置づけられることが意識されている話はあまり耳にすることは無い。

少子高齢化がアセアンの中で最も加速度的に進んでいるタイ。世界でも有数の交通事故死者数を誇り、この正月の1週間前後で400人以上の命が交通事故によって失われたタイ。その正月期間中、映画館では飲酒運転による交通事故を減らす狙いで、リアルな交通事故死のシーンを織り交ぜた飲酒運転撲滅キャンペーンの映像を繰り返し流し続けていたタイ。この国において、特に若年層でGrabを利用している消費者が、今後車を持たない生活にシフトしていくのか、それともGrabドライバーによる副業も悪くないという可能性を含みつつ車を保有する選択をするのか。とりわけバンコクにおいては、鉄道の整備も進んでおり、駅から自宅や職場へのラストワンマイルは従来からあるバイクタクシーなどの選択肢により、移動手段は車を保有しなくても確保しやすい環境が整いつつある。何にもまして悪化する一方の渋滞問題が解決される見通しが立っていない。こういった中であえて車を保有する選択を行うのに必要なトリガーは、単純に所得水準や、税制優遇、家族形態の変化などの要素からだけでは説明がつかない時代がもう目前に迫っているのではないか。そう思いつつ、今日もGrab Carに乗って仕事に勤しんでいる。

著者プロフィール

Thai
青葉 大助(あおば だいすけ)
タイ在住40代男性リサーチャー。過去に訪問した調査実施国数は30か国以上。当該国の消費者にとってのベストを求め、常に彼らの気持ちに寄り添うことを信条としている。
1日約1000回閲覧される自身の世界グルメ投稿もタイを中心に意欲的に継続している。
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